古賀克重法律事務所ブログ

福岡県弁護士会所属弁護士 古賀克重(こが かつしげ)の活動ブログです。

ハンセン病患者の特別法廷、最高裁が異例の謝罪も憲法違反は認めず

◆最高裁が異例の謝罪

ハンセン病患者に対する特別法廷について、最高裁判所がついに謝罪しました。

最高裁の今崎幸彦事務総長が2016年4月25日、「ハンセン病が確実に治癒する病気となった1960年以降も、科学的な知見や特別法廷の必要性を検討していなかった」、「一律に設置を許可した最高裁の運用は違法だった」、「差別的に扱った疑いが強く、特別法廷の手続きを定めた裁判所法に違反していた。偏見や差別を助長し、患者の人権と尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」と述べたものです。

最高裁判所

最高裁が司法手続きについて謝罪するのは初めてと言って良く、異例の謝罪といえます。

調査報告書(骨子)(PDF)
調査報告書(PDF)

◆特別法廷とは

この特別法廷とは、全国13か所に設置したハンセン病療養所内や医療刑務所内に仮設した法廷のこと。

最高裁判所は、ハンセン病患者を当事者とする裁判手続きの一切を、裁判所法69条2項に基づいて、特別法廷で行うことを許可し続けていました。

1948年から1972年までハンセン病患者の95件の裁判(1960年以降は27件)が、公開法廷ではなくハンセン病療養所内等に設置された特別法廷で審理されていたのです。

一方、ハンセン病は、アメリカで開発されたプロミンという特効薬で戦後すぐには直る病気になっていました。

それにもかかわらず、戦前のハンセン病患者を終生隔離する政策が、日本国憲法下においても継続されました。つまり、1953年に制定された「らい予防法」に引き継がれ、1996年の法廃止まで継続したものです。

ハンセン病違憲国賠訴訟は1998年提訴し2001年5月11日の熊本地裁が違憲と判断。当時の小泉総理が控訴を断念して解決に向かいました。

私は最終準備書面の事実編を担当しました(原告側最終準備書面は、「事実編」として393頁、「責任編」として295頁、「損害編」として225頁、「個別損害編」として256頁を提出)。

この最終準備書面事実編において、特別法廷で裁かれ死刑になった冤罪事件には言及したものの、特別法廷全体の統計は入手できず詰め切れていませんでした。ですから1960年以降も27件あったというのは個人的にも驚きの事実でした。

◆検証のきっかけ

最高裁が今回の異例の謝罪にふみきったのは、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)らが2013年11月、裁判の公開を定める憲法違反として最高裁判所に対して検証を求めたのがきっかけです。

全療協の申し入れを受けた最高裁は自ら2014年12月、ハンセン病療養所・熊本恵楓園や宮古南静園を訪問。隔離法廷を目撃していた入所者と面談してヒアリングを行うなど検証を開始しました。

その後、最高裁内部による検証には限界があるとして、外部の有識者委員会による検証を実施することにします。

委員は、井上英夫・金沢大名誉教授(福祉政策論)、石田法子弁護士(前大阪弁護士会会長)、小西秀宣弁護士(元東京高裁裁判官)、川出敏裕(東京大大学院法学政治学研究科教授)、大塚浩之(読売新聞論説副委員長)の5名。

元高裁長官・弁護士会会長を含む外部の有識者委員会は、「法の下の平等を定めた憲法に違反する」との意見をまとめて2016年3月末に最高裁に報告しており、今回、最高裁が自ら最終的な見解を発表したものです。

◆最高裁の謝罪の限界

一方、最高裁は裁判所法に違反していたことを認めて謝罪したものの、「調査の範囲では公開の原則は守られていた」と憲法違反であることは認めませんでした。

理由としては、「下級裁判所が、最高裁判所の指示に従い、裁判所の掲示場及び開廷場所の正門当において告示を行っていたこと、下級裁判所は、指定された開廷場所において傍聴を許していたことが推認でき、このような開廷場所の指定にあたっての運用は、憲法の定める公開の要請を念頭に置いて行われたものと認められるし、裁判所法69条2項が想定する公開の要請を満たさないと解される具体的形状を有する場所が開廷場所として選定された事例があったとまで認定するには至らなかった」ことをあげました。

しかし最高裁が実施した外部の有識者委員会は明確に違憲と指摘しました。
そして委員会は特別法廷の問題を検討するにあたって2つの壁があるといいます。

一つの壁は「時の壁」。
1948年の最初の裁判所外開廷場所指定から68年経過しており、今回の調査はあまりに遅きに失した感は否めず、「この時の壁を作出したことの責めも最高裁判所・司法府は負わなければならない」と指摘します。

二つの壁は、「隔離・差別の壁」。
問題のは背景は多年にわたる強制隔離収容政策であり、「裁判が通常の裁判所でなく、社会から隔絶された場所で行われた点にある」として、熊本地裁判決が認定した居住移転の自由をはじめとする患者の人権が侵害された療養所内当で開廷されたこと自体が不合理な差別であり、平等原則違反であったということである。この点を直視しなければならない」と端的に言及します。

それにもかかわらず、「裁判の公開」という憲法の要請を憲法の番人が守れなかったことについて、自ら憲法違反と踏み切れなかったことは極めて残念ですし、何よりも強制隔離・終生隔離政策の下、苛烈な人生を余儀なくされてきた元患者らの納得はなかなか得られないものでしょう。

10代で強制的に入所させられた元患者の長州次郎さん(88)は、およそ60年前に園内で開かれた刑事裁判の特別法廷を傍聴することができなかったといいます。この裁判はある患者が殺人未遂などの罪に問われたもので、自治会の事務所や公会堂などで審理が少なくとも3回行われたということですが、大人の背丈よりも高い布の幕で周りが覆われていたといいます。

長州さんは「当時は患者がいる場所を『有菌地帯』、職員がいる場所を『無菌地帯』として区分けしていたので、法廷に入ることもできなかった」と述べ、裁判の公開の原則に反していたのではないかと話しています。

また、元患者の杉野芳武さん(85)は実態を明らかにするには裁判所の検証が遅すぎたと感じています。杉野さんは特別法廷が開かれているのを、法廷の外から見かけたことがあるということですが、審理がどのように行われたか記憶があいまいになっているということです。

杉野さんは「半世紀以上もたったあとに検証して本当のことが分かるのか。裁判所は行動があまりにも遅すぎる」と指摘しています(4月25日付NHK)