エホバの証人の患者について裁判所の慎重な審理を通じ無輸血手術が成功した事例
目次
「エホバの証人」の患者と輸血
患者に手術が必要であり術中に輸血の可能性がある場合、通常、医療機関は事前に輸血の同意書を取ることになります。
では患者や家族が、宗教上の理由から輸血を拒否した場合、医療機関はどのような対応を取るべきでしょうか。
具体的に問題となるのは周知の通り、「エホバの証人」のケースです。
「エホバの証人」はキリスト教系列の旧教ですが、聖書の解釈から輸血を拒否するため、医療機関は患者ないし患者の家族がエホバの証人の信者である場合に対応を迫られることになります。
最近では「相対的無輸血」を事前に掲げている医療機関が大半のようです。相対的無輸血とは、患者ないし家族の意思を尊重して可能な限り無輸血治療に努力するが、輸血以外に救命手段がない事態に至った時には輸血を行うという立場です。
これに対して、「絶対無輸血」とは、患者ないし家族の意思を尊重し、たとえいかなる事態になっても輸血をしないという立場です。
この古くて新しい問題について一つの裁判事例が報告されましたのでご紹介します。
法的な運用(親権停止制度と職務代行者選任の保全処分の活用)
まず前提として法的な運用を整理しておきましょう。
未成年者の手術に際してエホバの証人の親権者が同意しない場合、親権喪失を本案とした親権者の職務執行停止とともに、職務代行者選任の保全処分を申し立てることがあります(家事事件手続法174条)。
その際、家事事件手続法107条ただし書を適用し親権者の陳述は聞かず(同法107条但し書き)、職務代行者選任の保全処分の審判が出た後、手術を実施し手術が終了した時点で本案の申立てを取り下げるという運用がなされています。
ちなみに親権停止制度は、2011年6月の民法一部改正によって創設され,親権制限の要件や効果が緩和されるに至りました。
親権停止の要件は、「親権の行使が困難又は不適当であることにより子の利益を害するとき」です(民法834条の2第1項)。親権停止の効果としては、「その原因が消滅するまでに要すると見込まれる期間、子の心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮して、2年を超えない範囲内」で親権を停止することができます(民法834条の2第2項)。
ケース報告
今回報告されたケース(「家庭の法と裁判」16号141頁)は、裁判所が申し立てについて従来の手法ではなく、当事者の審尋も実施したうえ、最終的に別の医療機関において無輸血手術を実施したという事案です。
報告されている事案の概要は以下の通りです。
小学生の子が腹痛を訴えて受診した結果、神経芽腫・腹腔内腫瘍の疑いにて、小児がんの拠点病院Xに入院しました。
その後、両親がエホバの証人の信者であり、輸血には同意しないことが判明します。
腫瘍マーカーが高値であり、MRI検査の結果、腹腔内に最大径18センチ大の腫瘍があったことから、X病院は卵黄嚢がんの可能性が高いと診断しました。
別病院のセカンドオピニオンの結果、輸血リスクを減らすため、まず化学療法を先行させ腫瘍を縮小させてから手術を行う治療方針が立てられ、両親とX病院が合意しました。
こうして術前化学療法が2クール行われた結果、腫瘍は8センチ大まで縮小し、輸血の可能性は低くなったものの、X病院の方針としては、事前の輸血同意書がないと手術開始はできないというスタンスでした。
そこで、児童相談所が、入院から約2か月弱後、親権停止の審判および親権者の職務執行停止・職務代行者選任の審判前の保全処分を申立てました。
医療機関は、審判等の申立てから20日後を手術予定日として確保し、その日までに審判が下されることを希望しましたが、裁判所は両親宛にも審問呼び出し上を送付し、約20日間の間に3回の期日を開いて、両親側の意見も聴取しました。
両親は、別の小児がん拠点病院Yにおいてセカンドピニンオンを聞いて、Y病院において無輸血手術ができる可能性が高いこと、輸血同意書は不要であることから、審判申立てから約50日後にY病院に転院しました。
その後、Y病院において、輸血同意書なしに無輸血にて手術が行われ、手術は無事成功し、審判申立ては取り下げられました。
裁判所の慎重な審理
この事案については、「本件は、親権停止の審判も保全処分もなされなかったため、それらの事実が戸籍に記載されることなく、無輸血での手術が成功するという最善の結果となった。特筆すべき点として、裁判所が病院側の主張や手術予定を鵜呑みにすることなく、親権者側の主張に耳を傾け、無輸血での手術を模索しつつ、その可能性について主張立証する機会と時間を与えたことが挙げられる」(同144頁)という評価も指摘されています。
珍しいケースですが、裁判所も粘り強く当事者の意見を調整して、医療機関の立場、患者側の立場をすりあわせて着地させた事例として評価できるでしょう。
本件は化学療法が功を奏しており無輸血手術の蓋然性が高かったこと、緊急手術の必要性がなかったことという特殊性があります。その時間的余裕があることが裁判所の調整する余地があったものになります。
逆に、緊急手術が必要であり、命に影響がある場合にはやはり従来型の手法によらざるを得ないとも思われます。
児童相談所による輸血同意
ちなみに事案の概要では省略しましたが、X病院は、化学療法を実施する前にも骨髄抑制等の副作用が考えらえるため、「事前の輸血同意書が必要である」というスタンスでした。
そのため、児童相談所は、子を一時保護とする決定をなして、児童福祉法33条の2第4項に基づいて、児童相談所長が、輸血同意書に署名して、化学療法を実施していました。
さらに進んで児童相談所所長の輸血同意書によって手術に踏み切ることもケースによっては可能と考えられています。
つまり、厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課「子ども虐待の手引き(平成25年8月改正版)」165頁は、「親権停止審判を請求する時間的余裕もないときは、児童福祉法第33条の2第4項に基づいて児童相談所長等が医療行為に同意することができる」と指摘しています。
しかしながら本件で児童相談所は、時間的余裕があるということから慎重を期して審判申立てに至ったものと思われます。
いずれにしろエホバの証人と輸血という問題について、当事者が悩みながら法的着地を図っていくべき際には参考になる裁判例であると思います。
投稿者プロフィール
- 弁護士古賀克重です。1995年に弁護士登録以来、患者側として医療過誤を取り扱っています。薬害C型肝炎訴訟の弁護団事務局長として2008年の全面解決を勝ち取りました。交通事故も幅広く手掛けており、取扱った裁判が多数の判例集で紹介されています。ブログではその主たる取扱い分野である医療過誤・交通事故について、有益な情報を提供しています。