薬害肝炎・国との基本合意10周年集会が開催、九州実名原告の訃報とともに第三者組織の実現を誓って
目次
国との基本合意10周年集会が開催
2007年12月、国が薬害肝炎の全面一律救済を表明し、2008年1月、薬害肝炎救済法が成立して10年が経ちました。
この間、薬害肝炎救済法の提訴期限は2度、法改正によって延長し、いまだ被害救済が続きます。
全国的に冷え込む2018年2月3日、薬害肝炎全国原告団弁護団が主催して、「国との基本合意10周年集会」が東京・ベルサール半蔵門にて開催されました。
300名を超える参加者の熱気が広がる中、まず薬害肝炎原告団の山口美智子さんの挨拶に続いて、集会に出席した福島瑞穂議員、仁比聡平議員、畑野君枝議員、菅直人議員、松田功議員、初鹿明博議員が順次登壇して挨拶されました。
厚生労働省からも副作用対策室室長が「救済法が延長されて5年、弁護団の先生とは各地の訴訟で共同してやっていきたいと思います」、肝炎対策推進室の室長が「薬害の再発防止に努めていくことが大事と思っている。本日は坂口元厚生労働大臣ほか皆様の話を聞いて、さらに理解をふまえて仕事にいかして行きたい」と登壇して挨拶しました。
そして第1部のメインとしては、国との基本合意後の10年の原告団の歩みをスライドで振り返りつつ、成果と課題について全国の原告自らナレーターとして説明していきました。
国との基本合意
1 責任と謝罪
国は、フィブリノゲン製剤及び第Ⅸ因子製剤によるC型肝炎ウイルス感染被害者の方々に甚大な被害が生じ、その被害の拡大を防止しえなかったことについての責任を認め、感染被害者及びその遺族の方々に心からおわびする。
国は、さらに、今回の事件の反省を踏まえ、命の尊さを再認識し、薬害ないし医薬品による健康被害の再発防止に最善かつ最大の努力を行うことを誓う。2 個別救済
国(厚生労働省)は、医療機関による本件各血液製剤の投与を受けた者の確認の促進、被投与者への検査の呼びかけに努めるとともに新法に基づく給付金の請求手続き、請求期限等新法の内容について、国民に周知を図ることを約する。3 恒久対策
国(厚生労働省)は、原告らC型肝炎ウイルス感染被害者が安心して暮らせるよう、肝炎医療の提供体制の整備、肝炎医療に係る研究の推進等必要な措置を講ずるよう努める。4 再発防止
国(厚生労働省)は、本件事件の検証を第三者機関において行うとともに、命の尊さを再認識し、薬害ないし医薬品による健康被害の再発防止に最善、最大の努力を行うことを改めて確約する。5 継続協議
恒久対策及び薬害再発防止対策について、国(厚生労働省)は、原告団・弁護団と継続的に協議する場を設定する。
10周年記念誌の発行を通じて振り返る
この集会は、各地原告団からメンバーを選出して実行委員会を立ち上げ1年ほどかけて準備してきたもの(実行委員長は東京原告団の浅倉美津子さん)。
その一環として、「国との基本合意10周年記念誌」も作成し、この日、参加者に配布しました。
弁護団の視点から解決までの道筋を解説した「薬害肝炎裁判史」(日本評論社)は既に発刊していましたが、今回配布した「10周年記念誌」は原告の視点から活動を振り返りつつ、これからの課題について整理したもの。
コンパクトに読みやすい内容になっています。
例えば、全国原告団による座談会など読み物としても面白い仕上がりです。
また薬害肝炎問題の解決に尽力した方々からのメッセージも掲載されていますので、一部を抜粋してご紹介しましょう。
元内閣総理大臣 福田康夫議員
この訴訟については、私が総理大臣に就任する以前から全国の地方裁判所で判決が出されていました・・行政としては、国民に説明がつくよう、高裁や最高裁まで判断をお願いして、国の責任の範囲を司法の場で明確にしてほしいと考えていたのです・・
原告代表の皆さんの切なる思いに応えるためには、司法と行政を超えた枠組みを考える以外に方法がないことに思い至り、和解協議の裁定が下った日から与党幹部とさっそく相談をはじめ、議員立法による全面解決を決断し、与党関係部署に指示をしました。
その上で、原告団代表の方々とお会いしたのが平成19年の12月25日です。弁護団と与党との精力的な協議、迅速な立法作業をお願いし、国会においても会派を超えた速やかな対応が行われ、年明け早々1月11日に法案が成立しました。これにより、長年にわたるC型肝炎訴訟の解決が図られることになりました。・・以上の経緯を振り返って思うに、政治も行政も、全ての判断、処理に当たっては、常に国民の立場に立って考えてみることの重要性をつくづく感じました。
川崎二郎議員(自由民主党)
C型肝炎の薬害救済法が成立してから、早や10年近くが経過しました。しかし全員の救済が完了したといえず、5年延長することとなりました。
成立するまでの間、そして成立してからの10年、ご苦労いただいた方々のご努力に心から敬意を表します。
私も議員立法の責任者として経験を活かしながら、その後も行政が対応しきれない数々の課題解決に努力してきました。今皆様が課題とする問題についても、しっかりと受け止めてまいりたいと思います。
萩生田光一議員(自由民主党)
私も当時、与党の肝炎対策に関するプロジェクトチームの一員として、こうした一連の対応に関し、微力ながら尽力させていただいたことを今も鮮明に覚えております。
C型肝炎救済特別措置法につきましては、近年においても被害救済を求めて法に基づく訴訟を提訴される方がいらっしゃる現実を踏まえ、先の特別国会において前回一致の議員立法により改正され、給付金の請求期限が延長されました。法律に基づく救済を進めるとともに、医薬品による健康被害の再発防止への取組や医薬品や治療法の研究・開発などにも力を入れていく必要があると、改めて感じております。
我々自由民主党としても、引き続き、薬害肝炎全国原告団・弁護団の皆様のお声を拝聴しながら、医薬品の安全性を確保し、国民の皆様が安心して医療を受けられるよう、各種政策の充実に取り組んでまいります。
太田昭宏議員(公明党)
2007年も暮れの12月、寒空のなかでの座り込み、集会の姿を今も思い起こす。当時の福田首相と何度も話し合い、この基本合意ができました。翌年の国会において、救済法が成立、衆議院通過の時に、公明党の議員総会で、喜びの報告をしていただき、その光景は忘れることができません。
まだC型肝炎感染であることを知らない被害者も多く、救済できるように救済法の延長をします。
そして薬害被害の救済と再発防止に、力を注いでいきたいと強く思っています。
山井和則議員(希望の党・解決時民主党)
2006年に原告の皆さんと共に戦った日々を昨日のことのように思い出しています。
原告の方々の悲痛な声は今でも心に焼き付いています。原告の方々のお話を聞き、涙、涙、涙、何度、涙したことか・・
何の罪もない方々国の不作為により肝炎に感染し、大変な苦しみを受けておられる、にもかかわらず、国は全く責任を認めず、謝罪もしない、こんな事態を何とかせねばと戦いました・・しかし、未だに闘病中の方も数多くいらっしゃり、救済されていない方々もたくさんおられます。引き続き被害者救済に取り組み、薬害肝炎の問題を思い教訓として受け止め、私たちは薬害が二度と起こらないようにせねばなりません。
本日の記念集会を契機に、薬害肝炎に苦しむ方の救済と薬害の根絶のために、これからも努力してまいります。
大臣交渉時の歴代厚生労働大臣である舛添要一元議員、長妻昭議員(立憲民主党)、細川律夫元議員、小宮山洋子元議員、田村憲久議員(自由民主党)からもメッセージを頂きました。
舛添要一元厚生労働大臣
厚生労働大臣の時に薬害肝炎被害者救済に努力しました。救済法案の延長を国会議員の皆さんにお願いします。
また、薬害再発防止のための第三者組織の設立も、衆知を集めて促進して頂きたいと思います。
薬害で苦しむ国民がいなくなるような社会を目指したいものです。
さらに集会に出席された元長野県知事・元衆参議員の作家田中康夫さんからも、以下のようないつもながらの熱いエールを頂きました。
「当時、代表の山口美智子さんとお会いして、国会だけでなくて銀座の街中に出て行ってアピールすべきだという話をさせて頂いたことを思い出します。本日もHPVワクチン薬害訴訟原告団代表の酒井七海さんが会場にお越しになっていますが、私も子宮頸がん「ワクチン」の問題を自分のHPや出演しているテレビで取り上げています。『微力だけど無力じゃない』。皆さんと一緒に銀座の街頭で訴えかけた時の気持ちを忘れずに、これからも共に歩ませていただければと思います」
また支援する会・東京の江川守利さんも、「2002年の提訴以来、原告の皆さんを支援してきました。今も薬害が繰り返されている現状があります。薬害の被害者全体が薬害再発防止に取り組む必要があると感じます。その意味で、この後、議論される第三者組織は薬害被害者全体の問題でもあるし、また我々国民全体の問題でもあると思っています」と訴えがありました。
坂口力厚生労働大臣の基調講演会
第3部は、坂口力・元厚生労働大臣による基調講演「薬害撲滅に何を心がけるか」が行われました。
坂口力元厚生労働大臣は実は、薬害肝炎訴訟が2002年10月に開始した時の厚生労働大臣、つまり被告国の責任者だった方です。
「当事者だった私が話をするのはどうかと思いましたが、代表の山口さんに説得されました」と会場の笑いを取りながら、医師として三重県で輸血行政にかかわった経験に基づく深い考察をスライドを自ら操作しながら(たまに誤操作してまた笑いを取りながら)説明して頂きました。
以下、坂口元大臣の講演のポイントを抜粋してみましょう。
第三者組織は、原告の熱意はわかっているが、なかなか前に進まない。第三者組織の大枠がわからないので進まないところもある。
国会の国会議員の皆さんが中心になって、役所と原告団との話し合いで大枠を決めるという手順が大事ではないかと思っている。
2002年10月21日、C型肝炎訴訟が始まったとき、いわば肝炎問題の初代大臣として何を思ったか、お話ししたい。
献血事業にかかわった経験があるだけに第Ⅸ因子とフィブリノゲン製剤だけで線を引くことができるのか。輸血で肝炎になった人も合わせてどう考えるのか。裁判所の判決によっては膨大な人数を救済しなければならないことになるという思いが頭をよぎった。
一方、薬害の根源は献血制度にあったことは間違いない。
献血は閣議決定で開始した。しかし閣議決定や厚生省の局長通知には、輸血による副作用対策について何ら触れていない。厚生省は輸血を日赤に丸投げしていたのである。法律なしに閣議決定だけでやってきたという問題があった。
昭和39年11月11日付厚生省薬務局長通達では、「売血制度に起因する弊害が憂慮される」「可及的速やかに保存血液の供給を献血により確保する」とした。献血によって肝炎は減ると思っていた節があった。
そして薬害肝炎を引き起こしたフィブリノゲン製剤の承認は、「昭和39年6月」なので問題はわかっていたのではないかと思う。裁判では国が負けるのもやむを得ないのではないかとも思った。
昭和39年は売血の最盛期であり、輸血を受けた人の50パーセント以上が血清肝炎に罹患していた。昭和40年から全国で献血制度が開始された。しかし肝炎患者はしばらく減少しなかった。昭和50年代にやっと10パーセント台に低下した。
この薬害への認識不足は医療側にもあった。売血から献血への切り替えをしない医療機関が多く存在したのである。輸血後肝炎は当然のように考える医師が多く、減少させる意欲に欠けていた。
それでは以上の経緯や経験をふまえて、薬害撲滅に何が必要かを考えてみたい。
制度の確立が重要であり、曖昧な行政は薬害を繰り返すことになると思う。
そして医療機関には十分な指導・監督が必要であり、制度悪用を阻止することを怠ってはならない。当時の医療機関は病気を治すことには執着していたが、その後肝炎になることは当然とする風潮があった。
さらに常に外国の文献に注意し、行政に反映させなければならない。例えば薬害ヤコブの時もそうだったが、厚労省の中でチェックする人は一人しかいなかった。それでは到底無理というものである。
何よりも役所は「上意下達の社会」から脱却し、気づいたものが自由に発言できるようにしていくことが重要だ。
医療機関には、患者中心の医療を行う体制を確立することが必要だ。それぞれの分野で、大家(専門分野の第一人者)に追従する悪習を打破する必要がある。
例えばハンセン病の問題がある。
ハンセン病の第一人者という方が昭和28年に新しい予防法ができた際、参議院の参考人に呼ばれ、「隔離政策は続行すべき、もっと厳しくすべきだ」と発言した。その医師は文化勲章を受けたが、その医師が「隔離政策を続行しろ」と証言したがために、他の人が違うといえなかった。「違う」といえる人がいれば、ハンセン病の問題はもっと早く解決したと思う。
そういう風潮が社会全体で変わっていかないと、薬害撲滅につながっていかない。
第三者組織を作るにしても、「誰でも改革を叫べる社会」、そういうものが薬害撲滅につながる。私はそう思う。
経験に基づいた率直であり、また説得的な語り口に会場は大きな拍手に包まれました。
第三者組織の実現を求めるパネルディスカッション
最後の第4部においては、薬害再発防止のために設立を求める「第三者組織」についてパネルディスカッションが行われました。
パネラーは、元NHK記者で江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授・薬害オンブズパースンメンバーの隈本邦彦氏、全国薬業労働者連絡会議の事務局長を務める荒木茂仁氏、元大阪HIV薬害訴訟原告で薬害被害者団体連絡協議会(薬被連)代表世話人の花井十伍氏、そして薬害肝炎九州原告団代表の小林邦丘氏の4名です。
東京弁護団の真野弁護士の司会で各パネラーが発言していきました。
自由闊達な意見が気ままに(笑)飛び交い、司会が間に入って整理するのに苦労する、熱量の多い議論でした。
全ては紹介しきれませんが、その一部をご紹介すると以下のような意見が出ていました。
花井「2000年以降は、国際的な基準で考える時代になっている。アメリカでは〇〇だから日本はダメである・・という発想ではいけない。第三者組織を立ち上げても、医薬品医療機器等法だけにとどまる監視組織では意味がないのではないか。局・省を横断して活動できるような第三者組織が作れれば、今の縦割り行政に対する対応として有効ではないか。そして情報を出させる権限が必要になる」
隈本「製薬会社は薬を売却して利益を図ることを株主に約束している。それが行動原理であるし彼らの使命でもある。そのため医師の処方箋でコントロールしようとした。しかしその医師も製薬会社からくる金・データの影響を受けて歯止めにならない。最後の歯止めは国民が税金を払っている官僚だが、やはり歯止めになっていない。信じられないくらい製薬会社の出してくるデータを信じる。それは裁判所が検察官の提出する証拠を信用するようなものだ」
荒木さんは「臨床試験などに関する規制緩和が進んでいる。そして厚労省の医薬品産業政策のキーワードは、グローバル化・新薬化発・国際競争力、つまり、大企業・多国籍企業優先の産業政策になっている。かかる現状からすると薬害はまだ発生する可能性がある」と指摘しました。
そして「承認条件を緩めて市販後調査を課す方向性にあるが、承認後に承認取り消しになった例はない」と述べた上、実例として、「例えば、タミフルの製造販売元である中外製薬の免疫抑制剤セルセプトカプセルの適応症追加(心移植・肝移植・肺移植における免疫抑制)に伴い、承認条件として市販直後調査が課せられたにもかかわらず、実施しなかったという前代未聞の事件があった。しかしこの事件でも承認を取り消すのではなく、「発生原因と改善策」を求めただけだった」
さらに隈本氏は「様々な薬害被害者の話を聞いてきたが、薬害は薬が起こすのではなく人が起こすのだ。情報について透明性を高める努力をしないといけないが、厚労省はそこまでできていない。求めていく第三者組織は、ある薬について情報がでてきたとき、機動性と専門性がある団体、専門家集団であるべきだ。薬害が裁判しないと勝てないとというのはだめである。そういう組織を持つのは先進国としては当然かと思う」と解説しました。
そして最後に荒木さんが「厚労省が案を作って、原告団・議連と調整して作り上げていってほしい」、「特にロードマップは厚労省として作ってほしい」と力強く訴えました。
薬害肝炎被害者である小林さんが「我々が求める第三者組織が早く作れていたら、今問題になっている薬害HPVワクチンの問題は異なったのではないか。少なくとも被害者はもっと少なくできたのではないかという思いがある。私たち薬害肝炎全国原告団がさらに一致して薬事行政を監視する第三者組織を実現したいと思います」と引き取り、会場から拍手が沸き上がりました。
一人の女性原告の死
非常に盛りだくさんの10周年記念集会になりました。東京弁護団の若手弁護士を中心に全国原告団のフォローに回り、全国原告団が自ら企画・立案したとても良い集会だったと思います。
一方、記念集会直前に訃報が飛び込んできました。
九州原告団の一人で、佐賀の実名公表原告だった藤原和子さんが10周年集会の数日前にお亡くなりになったのです。
藤原さんは1988年1月、佐賀市内の産婦人科で息子さんを出産した際、大量出血の止血剤としてフィブリノゲン製剤を投与され、C型肝炎に感染しました。
藤原さんは提訴時に実名を公表して精力的に原告団活動を続けていました。
ですがその後、ご主人を病気で亡くし、フィブリノゲン投与された際に出産した息子さんも亡くなってしまい、藤原さん自身最近は体調が悪化して寝込みがちと聞いていました。
10周年集会当日に、佐賀でしめやかにご葬儀が行われました。
治療法が飛躍的に進んできたC型肝炎。
ですが今も自分が被害者であることを知らず、治療を開始できず、気づいたときには手遅れの患者も少なくありません。またインターフェロンやインターフェロンフリーという新しい治療法によってウイルス陰性化(SVR)した後にも肝硬変・肝がんに進展してしまう患者もいます。
さらに藤原さんも2度のインターフェロン治療でいずれも再燃してしまいウイルスを排除できませんでした。しかもその後、肝硬変、そして肝がんへの進展してしまいました。このような難治性の患者さんも少なくありません。
薬害肝炎全国原告団が、肝炎患者会(日患協)、B型肝炎原告団とともに活動を継続してくことこと。
そしてわれわれ全国弁護団が厚生労働省に対して、病院によるカルテ調査など様々な論点の解決を求めていくことの意義を改めて参加者と共有し、思いを新たにした1日となりました。
第三者組織は基本合意に基づく10年の厚生労働大臣との協議で創設が確約されたが、未設置のままだ。基調講演では元厚労相の坂口力氏が「国会がリーダーシップを取り、原告団と厚労省でまずは枠組みづくりを」と呼びかけた。
パネル討論では、「現状の法規制では薬害は防ぎきれない」との問題提起があった後、「薬害は正しい情報が隠されるから起きる。薬害に関する情報が出たら速やかに、徹底的に調べる専門家集団が必要だ」などの意見が出た。
薬害肝炎全国原告団の山口美智子代表は「次世代に薬害を繰り返さないよう、第三者組織の設置を一日も早く実現したい」と話した(2018年2月4日付け朝日新聞・山本亮介)。
投稿者プロフィール
- 弁護士古賀克重です。1995年に弁護士登録以来、患者側として医療過誤を取り扱っています。薬害C型肝炎訴訟の弁護団事務局長として2008年の全面解決を勝ち取りました。交通事故も幅広く手掛けており、取扱った裁判が多数の判例集で紹介されています。ブログではその主たる取扱い分野である医療過誤・交通事故について、有益な情報を提供しています。