古賀克重法律事務所ブログ

福岡県弁護士会所属弁護士 古賀克重(こが かつしげ)の活動ブログです。

「がん患者は働くな」という議員と癌患者として薬害を解決した議員

がん患者は働くなという国会議員

 先日、「がん患者は働かなくて良い」という国会議員のとんでもない発言が物議を醸しました。
 自民党の大西英男衆議院議員が受動喫煙規制法について議論している際、「がん患者は働かなくていいのではないか」と発言したというものです。

  受動喫煙は苦痛であると指摘した自民党の参院議員に対して、規制慎重派の大西氏が「働かなければいい」とヤジを飛ばしたといいますから、何とも後味が悪い話です。

 その後大西議員は釈明して(撤回はしませんでした)、東京都連の副会長を辞任しましたが当然といえるでしょう。

 指摘するまでもなく問題外の発言なのですが、一方において自らがんと闘病しながら国政で活躍する議員もいます。
 その中の1人には昨日5月23日に亡くなった与謝野馨氏がいます。

薬害肝炎と与謝野氏

 与謝野馨氏は39歳からがんと闘病しながら、衆議院議員を10期勤めました。第1次安倍内閣では官房長官、麻生内閣でも財務大臣を勤めたほか、自民党を離党した後は民主党(当時)の内閣府特命担当大臣も務めました。
2017年4月に自民党への復党を認められたばかりでしたが、5月23日に78歳で死去しました。

 そんな与謝野氏と薬害C型肝炎問題は切っても切れない関係があります。

 2007年年末、薬害C型肝炎訴訟は佳境を迎えていました。
 大阪、福岡、東京、名古屋、仙台と5地裁判決が出そろい、ステージは高裁になるとともに、原告弁護団は政治的な解決を求めて行動していました。

 当時の厚生労働大臣舛添要一氏の書籍(「厚生労働省戦記」・中央公論新社)から引用してみましょう。

「2007年はあと1か月で幕を閉じる。それまでに何としても和解にこぎ着けなければならない・・薬害C型肝炎訴訟問題も、族議員や役人の抵抗がなければ、もう少し早く解決できただろうし、福田内閣の支持率も下がらずに済んだであろう。・・薬害肝炎訴訟問題は、与野党・メディアを巻き込んでの一大劇場型政治過程となり、国民がテレビドラマを見るかのように注視する大問題となった」

 当時は薬害の原因となった血液製剤の投与時期による線引きをせずに原告全員を救済するか、それとも一部救済として残りは基金等で処理するかが問題になっていたのです。
 原告団は「薬害被害者の全員一律救済」を求めて一歩も引かず国の一部救済案を拒否。その様子は繰り返しテレビ・新聞で報道されました。

 当時の舛添厚労大臣も言うように、国側・官邸も解決を視野に入れていたようですが、様々な条件が絡み合い、当事者は動けないまさに袋小路に入り込んだ状態でした。

 われわれ薬害肝炎全国原告団弁護団は年内の最終会議を行います。
 そして「一律救済を求め続けること」「年内解決にこだわらず越年して行動を覚悟すること」を決めて解散。1週間近く上京していた私も12月22日に久しぶりに帰福しました。

 へとへとに疲れ果てて自宅で寝込んでいた23日の朝、知り合いの記者から電話が飛び込んで来ました。「どうも官邸が大きな決断をしたようで、今から会見があるようです」。

 半信半疑でベッドサイドからテレビを付けて、NHKニュースにチャンネルを合わせると、しばらくして福田総理が生で会見して「薬害被害者の全員一律救済」を発表したのでした。

政治決断の背景

 後で分かったのですが、福田総理の政治決断を後押ししたのは与謝野馨議員だったのです。

 与謝野議員は特に厚労族ということもありません。福田総理と親しいわけでも、当時の総裁派閥だった町村派とも距離を置いていた方です。
 私たち薬害肝炎原弁もほとんどアプローチしたことのない議員でした。与謝野議員ご自身も、それまで直接に薬害肝炎被害者の声を聞いた機会はなかったと思います。

 その与謝野議員が解決方針という手書きのメモをもって1人官邸に入り、福田総理に説明して決断を後押ししたということでした。
 当時の新聞記事から拾ってみましょう。

「21日に首相官邸を訪れた前官房長官の与謝野馨氏との会談が首相の背中を押した、と首相周辺は明かす。この直前の数日間、与謝野氏は法務省と打合せを重ねていた。首相はそこまで話が詰まっているならとうなずき、党総裁として谷垣禎一政調会長に議員立法の検討を指示した」(2007年12月24日付け日経新聞)。

「大阪高裁の新たな和解案が出たとしても、一律救済の文言が入る見通しはなかった。解決が長引けば、年金記録漏れなどで逆風を浴びる政権にとり、さらなる痛手となる。このことに気付いていたのは与謝野馨・前官房長官だった。修正案の拒否を受け21日午後、与謝野氏は官邸を訪れ、首相に一律救済のためにどんな法案内容が必要なのか、個条書きにまとめた論点メモを示した。そして「議員立法で解決を図るしかありません」と首相に迫った(2007年12月31日付け毎日新聞)

 もちろん薬害C型肝炎問題は与謝野氏だけの力で解決したものではありません。それは完全な誤導になってしまうでしょう。

 世論が沸騰する前からこの問題を国会質問で取り上げ続けた各野党議員、秘密裏に官邸と弁護団との間の取り持ちをしてくれていた与党議員、連立与党として一貫して解決を主張した与党議員・・・与野党を問わず多数の見識のある議員がこの問題に早くから向き合い、解決を目指して支援してくれていたのが実態です。

 また「議員立法による集団訴訟の解決」という手法にしても既にハンセン病国賠訴訟において前例がありました。
 薬害C型肝炎問題でも「議員立法による解決しかない」という声は複数の議員から上がっていましたから、何も与謝野氏の専売特許というわけでもありません(ちなみにその後の予防接種B型肝炎訴訟の解決でも同じ手法が採られました)。

 しかしながら与謝野氏のあの総理への後押しがなければ、2007年年末の政治決断はなく、全面解決までまだ少しの時間がかかったこともまた間違いないでしょう。

 むしろ薬害問題とは一番遠いところにいたといえる与謝野氏が、総理の政治決断を迫ったというところに、政策通としての矜持を感じたものでした。

 そしてまた自ら語ることはありませんでしたが、癌患者として長年生と死に向きあっている経験が、薬害C型肝炎被害者の声を間接的にせよ耳にし、この問題は早期に政治解決すべきだという考えに傾かせたのではないかとも感じます。

薬害解決1周年集会に参加した与謝野氏

 私が与謝野馨氏と会ったのは一度だけです。
 解決から1年を迎えて東京で大々的な周年記念集会を開催した時のことでした。

 前述のように解決に尽力してくれた多数の議員も与野党問わずお呼びしましたが、与謝野氏も顔を出してくれることになりました。

 全国原告団代表の山口美智子さんが会場外の廊下で与謝野議員を呼び止めてお礼を言う場面に立ち会いました。
 与謝野議員は恩着せがましい言葉は何一ついわず、ただにっこりと優しく山口さんにほほえみかけて、会釈をしながら飄々と会場の中に入って行きました。

薬害肝炎救済法の延長と10周年集会に向けて

 現在、薬害肝炎全国原告団弁護団は、この与謝野氏も尽力して成立した薬害肝炎救済法のさらなる延長を求めて国会に働きかけています。
 5月30日には全国原告団代表の山口さんを中心に国会ローラー(国会議員への働きかけ)を行う予定です。

 そして2018年2月には大々的な解決10周年記念集会を開催する準備をしています。
 その集会に与謝野氏をまたお呼びできないことが残念ですが、がんと長年闘病しながらも、政治家として信念をもって様々な政策実現に尽力した与謝野氏のご冥福を心からお祈りしたいと思います。

投稿者プロフィール

弁護士 古賀克重
弁護士 古賀克重弁護士
弁護士古賀克重です。1995年に弁護士登録以来、患者側として医療過誤を取り扱っています。薬害C型肝炎訴訟の弁護団事務局長として2008年の全面解決を勝ち取りました。交通事故も幅広く手掛けており、取扱った裁判が多数の判例集で紹介されています。ブログではその主たる取扱い分野である医療過誤・交通事故について、有益な情報を提供しています。

弁護士 古賀克重

弁護士古賀克重です。1995年に弁護士登録以来、患者側として医療過誤を取り扱っています。薬害C型肝炎訴訟の弁護団事務局長として2008年の全面解決を勝ち取りました。交通事故も幅広く手掛けており、取扱った裁判が多数の判例集で紹介されています。ブログではその主たる取扱い分野である医療過誤・交通事故について、有益な情報を提供しています。